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2004年08月25日

「中国」を語るにあたって

なんだかんだで上海での生活も随分慣れてきた。
SARS騒ぎで強制帰国していた頃を除いても、一年半以上の月日をコッチで過ごしている事になる。
中国という何かとネタになる様な土地での暮らしではあるが、コレだけの時間をおいて初めて「丁度良い距離」で身の回りの事を考えられる様になった気がする。
とりあえず今後中国を語るにあたって、お山羊のスタンスを書いておかねばなるまい。

ネタの中には中国をある意味馬鹿にしたと感じるモノも有ると思うが、これも現地で生活している者からの一視点である。
実際に集合として見た時の中国人は「勘弁してくれ」というくらいたまらないもので、その考え方や行動には常に辟易させられている。ただ、それでもコッチの友人/知人達は「いいひと」ばかりだったりするし、ご存知お山羊の妻も中国人だ。
こういうジレンマに際して、ある優しい人は「何人だからと語るのではなく、一個人として・・・」と言う。
お山羊もこれは素晴らしい意見だと思うし、そういう見方が出来ればとも思うのだが、人種、国籍、社会的階層の坩堝たる上海で生活していると、やはり「中国人は・・・」という見方が「政治的に正しく」なくても確かに存在するのを感じざるを得ない。

昨今は近隣国の関係をとりあげて様々な論調が見受けられるが、特に大手媒体の旗振りによって行われる友好報道等は、善意のものとして見ても何処かいびつで、薄気味悪い感じさえする。
お山羊としては極端な話「日中友好」なんてものは敢えて叫ばない方が良いと思っている。
良い部分は良い、嫌な部分は嫌だという至極当たり前の関係の上で、その良い部分とミニマムなレベルで良好な関係を築けば良いのではなかろうか?

目を瞑ってまで友好に誘導する気もない。
しかしそれでも「何故か中国が好き」なままでいる不思議を、時には愚痴り、時には感心しながら、ゆっくり考えて行きたい。
オソマツデシタ (゚ω゚)ヾ

投稿者 お山羊 : 2004年08月25日 22:49

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